新田次郎さんの「密航船水安丸」を読んだ。きっかけは,宮城県登米市東和町のことを知りたいと登米市のホームページなどを見ていて,この本の存在をしったことから。自分もカナダ(登米市の姉妹都市BC州のVernon市)に短期間だけど住んだことがあったし,東和町も結構な回数(目的地への経由として)訪れたことがあったので,それをつなぐ題材がまさか本になっていて,しかも著名な新田次郎さんの著書とは!それに加え,新田次郎さんが若い頃勤務した中国長春(当時の満州)は,自分も同じ満州だった大連に数年住んだことがあり,身近に感じていた。奥さんの書いた「流れる星は生きている」もそのときに読んだし,息子さんの藤原正彦さんの著書「国家の品格」「祖国とは国語」もそのときに読んでいる。なぜか,新田次郎さん本人の著書は読んでいなかった。たぶん堅いイメージで自分の好みではないだろうと勝手に思い込んでいたのかも。
ためしに電子ブックで購入すると,話にどんどん引き込まれていきました。久しぶりに,「ああ,続きが読みたい!!」と思いながら本を閉じる(電子ブックをOFFにする)毎夜だった。
まず,及川甚三郎という人。裕福な家(小野寺家)に生まれたが,養子になり及川姓に。養蚕業などの事業を次々と成功させたが,満足せず,挑戦し続けた人。バンクーバーでは,鮭の筋子を食べずに捨てていることを知り,日本への輸出を考えたり,ドッグサーモンという現地の人が食べない鮭を缶詰にしたりと,ビジネスチャンスを確実に手にした人。バンクーバーの小さな島を日本人の島にしたいと,約80人の同郷人を連れて,密航させたこと。(「密航」とはいえ,正式な移民として手続きできる見込みがあったことにはほっとするし,実際正式に移民として認められた。)甚三郎の,白人たちと対等にという思いや,日本人の誇りをもって島のみんなを統率したこと,感銘。もちろん大変な苦労だし,移民となった同郷の人たちも必死で働いて,渡航費を返済したり,日本の家族に送金したりした。明治の人々の一生懸命生きる姿を知った。当然,現地白人とのトラブルや差別もあったし,移民生活は決して楽ではなかった。一方,故郷東和町米川では不作が続き,カナダからの送金は彼らの救いだったようだし,渡航した人も家族のためにという思いがあったと思う。
今,日本で働く外国人はどうだろうか? 賃金は安いだろうし(技能実習生のため?),でもその中から母国の家族に送金したり将来のため貯金したりしているんだろうなと。ああ,歴史は繰り返されているのかという思い。
また,80人の移民は,まず最初の1年間カナダの大陸横断鉄道の建設のため働かなければならなかった。自分も訪れたことがある横断鉄道のいくつかの名所。当時,何も知らず笑顔で記念撮影をしていた自分が恥ずかしくなる。苦労して開通したのは知っていたが,日本人もここで働かされ(当然危険な仕事だから外国人を安い賃金で雇っていた。中国人も多かったらしい。),命を落とした人がいたことを。例えば黒部ダムの建設もそうだが,我々の便利な生活は先人たちの苦労(というにはあまりにも軽い言葉だが)の上に成り立っていることを知るべきだし,伝えていくべき・・・・・・。そんなことを思う。
さて,及川甚三郎の転機は息子の英治の水死から。すっかり気を落としてしまった彼は,やがて帰国。ただ,これで終わらないのが彼。帰ってからも広淵沼の干拓のため,独自に測量に取り組む。ただ,これは宮城県で進めていたので実際は彼の調査したものは使われていない。しかし,彼の調査そのものは県のそれと大分近かったと著書では言っている。
帰国前の出来事で,甚三郎が河の上で白人と一騎打ち的になるシーンがある。相手は拳銃を持ち,甚三郎はたしか短刀。どう考えても不利なのだけれど,船が揺れるので拳銃は思うように狙いが定まらないと考える冷静?あるいは捨て身?な甚三郎。結局,白人は甚三郎のすごさに圧倒され,逃げてしまう。このシーンが,映画を見るように結構どきどきだった。
今,バンクーバーにある彼らが住んだ島はどうやらだれもいないようだ。少なくとも著者が取材したときには。そこにいた日本人(特に2世3世)はやがて白人社会に溶け込み,日本人だけで暮らす必要がなくなったようだ。カナダに日系人が多いのは知っていたが,自分の知っている土地の人たちが多く渡ったことを知り,もう一度カナダに行って,今度は違う視点で現地を見てみたいなと思った。・・・行けるかな? そういえば今年パスポート期限切れを迎えるんだっけ!!
ああ,ともかく自分にとってインパクトの大きい1冊。これを機に,新田次郎さんの「アラスカ物語」(これも宮城県出身の方の物語らしい)と娘さんの「父への恋文」(藤原咲子・ヤマケイ文庫)を注文。しばし,新田ファミリーの”追っかけ”をすることにする。